ダンスホール等過去の資料館
またインターネット普及もあり日本の過去を調べると、
どうやら戦前に日本でもタンゴが大流行して踊られていた過去が!?、、
女性は、まだまだ着物でしたから、、よ~く拡大して見て下さい。ダンス草履なるものや、
タンゴ専用の楽団、ダンスホール蓄音機のSP盤でタンゴ、、。
モボモガ。。現在の社交ダンス(英国製大英帝国)のタンゴとも違う踊りです。
こんなに素敵でおとなの社交場があったとは、、、↓コレ日本なんです。
知られざる過去です。
戦争前のモボモガがフランスで色々学び
文化人文壇文豪も訪れる大人の社交場です。
着物と洋装のバランスがとても宜しいです。
1937年(昭和12年)成瀬巳喜男監督の日本映画『禍福 』より
今のクラシックホテルは必ずと言っていい程
ダンスホールが併設されていました、、。
今はレストランになっています、、。
1937年(昭和12年)成瀬巳喜男監督の日本映画『禍福 』より
アルゼンチンタンゴは、発祥は、港町の貧しい労働者と娼婦の踊りなのですが、
一度、ヨーロッパ圏に行き、流行し、フランス製エレガンスのサロンスタイルとして里帰りし、今現在の踊られている
アルゼンチンタンゴになった様です。
戦前の日本、1918年鶴見花月園にダンスホールが開設されて
フランスサロンスタイルのアルゼンチンタンゴは、日本に入っては、来ていたものの、、
相手に対する心や気持ちが、先決のアドリブの即興のこの踊りですから、
中々、伝わらず、、当時の日本では難儀した様です、、、
その代わりと言っちゃなんですが、、、
当時、進駐ブームで乗りに乗っているイギリス、大英帝国のイギリス式、現、社交ソシアルダンス(他所の国のを
アレンジした10ダンス、の方が、メジャーで)
決まった足形があり、システム化されていたので、当時、
西洋の何もない時代にお教室ブームを作り(今も)先生が、級や資格を設けて教える事をして
経済を回していたので、日本人の気質に合い、英国式(ソシアルダンス)が支流となっていった模様です。
そして、1939年に第二次世界大戦が開戦するとダンスホールは次々閉鎖され、ダンスはおろか、規制が入り節制につぐ節制
終戦後に進駐軍向けにダンスホールが多数開かれて進駐軍の米GHQのパンパンダンスです、、
国会議事堂のあの中心にはダンスホールがあるんですよ?(調べて見てください)
現在用途不明なようですが、、、進駐軍に占領させてからは落書き、、パーティー、、
それからというもの、、今の今まで、
戦争で散って逝ってしまった古き良きのヨーロッパを知る若者の芸術家、モダンボーイ、モダンガールの向かおうとしていた紳士淑女道をやろうとしていた事が成就していなく、、
現在、、酒飲んでイエ-イのパリピばかり(憂さ晴らしも、たまになら分かります、、そりゃ私だって、、)
でも、日常や仕事の憂さを晴らすだけではない、、、
日本のおとなの世界をやりたい。。。
世界からもそのパーティーに参加したいと思えるような
日本独自の世界観を作りたい。。。